高野山への旅

東京に戻ってきてから初のGW。去年、一昨年は、金沢で生活していたので、そこにいるだけで旅行気分を味わうことができた。
今年は、どこか旅行に行きたいと思い、選んだのが伊勢と高野山高野山がメインで、伊勢はその途中で寄り道みたいな感じ。


高野山は、天才・空海が開山したところだから、ずっと前から行きたいと思っていた。
同時代に活躍した最澄に比べると、地理的な要因(比叡山は京都)やその後の新興仏教が比叡山から出たことなどから、どちらかというと最澄のほうが歴史的な貢献がイメージしやすい。でも、実際は空海のほうが圧倒的に天才的であり、正統的な密教を身に付けていたようだ。
僕が空海に興味を持ったのは、京都の東寺にある立体曼陀羅をみてからだ。僕の文章力ではその魅力を十分に書きつくせないが、あれだけのものを空海一人が中国から持ち帰るないしは想像したとすれば、本当の大天才だと思った。その空海が開いた山にぜひ一度いってみたいとかねがね思い、今回の旅につながった。


高野山は結構遠かったけど、大阪から南海電鉄、最後はケーブルカーで山を登る。九度山を過ぎたあたりからは、本当に山の中をのぼっていく感じで町もなにもないのだが、ケーブルカーを登り終えると、突然そこには平野(?)が広がっている。電車も車もない時代に、空海はどうやってこんなところをみつけたのだろう。
高野山の見どころは、大きく3つあって(個人的には)、一つが壇上伽藍と呼ばれる、寺の建築物群。もう一つが、空海がおはします奥の院。「おはします」と書いたのは、空海はいまだにそこで修業を続けていると信じられているからだ。三つ目は、霊宝館。
僕は、奥の院にすごく感動した。2,3キロはあると思われる参道は、木々に囲まれ、両脇には戦国大名の御墓(写真は石田三成の墓)から、企業の御墓まであり、今風にいうとスピリチュアルな趣き。夜なかにいったら、間違いなく生きて帰ってこれないだろうってくらい。でも、奥の院全体には、神聖さも同時にただよっていて、不思議と心が洗われる気がした。


夜は、高野山の福知院という寺にとまったのだけど、ここはなかなかよかった。お庭がとても綺麗だったのと、なんと温泉・露天風呂付き。部屋は簡素だったけれども、ちょっとした温泉旅館にとまっている気分で過ごすことができた。朝のお勤めにも参加できるということだったけど、寝過してしまったのが残念。


比叡山高野山とクリアしたから、次は恐山!…と行きたいところだけど、親に「恐山だけは絶対に行くな」と止められているので、たまには言うことをきいて、自重しようかと思う。あんまり親に心配かけるのはよくないし。
次は、どこに行こうかなー。最近、仏教とか仏像への興味がジョジョに薄れてきているから、新たなところを開拓したいなぁ。